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「人の夢が、いつか自分の夢になるように。」

2020.02.062020.02.06
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★中澤利彦さん(34歳・ニューヨーク在住/パフォーマー・ドリームメーカー)

もう少しだけ、ダンスが上手くなりたい。そんな単純で純粋な想いと向き合っていたあの頃、まさか自身が〝アポロシアター〟のアマチュアナイトで優勝するまでになるとは……この世界最高峰の舞台に立ちたくて、オーディションを受けたくて、世界中から夢を持った若者がニューヨークに集います。そこには光と影はもちろん、アメリカンドリームを手にする者も。そんな貴重な体験を活かし、現在はパフォーマー、ドリームメーカーとして、夢や希望を抱く人たちを応援しています。

◆二重生活

ニューヨークを拠点に、日本との二重生活をしているという中澤さん。ニューヨークでは、劇場型バスツアー〝THE RIDE〟でダンサーとして活躍しています。THE RIDEとは全席横向きの観光バスで、マンハッタンを巡りながら、ストリートパフォーマンスを見ることが出来る新感覚のエンターテインメント。世界中からやって来る観光客の思い出作りに一役買い、圧倒的なパフォーマンスで魅了します。

また日本では、これまでの経験を活かし、主に小学校で講演を行っています。夢の持ち方、希望の抱き方など、少しでも子供たちの為になればと、自身の体験を引き合いに熱く語ります。つかみはもちろんダンスです!子供たちのハートをガッチリキャッチした後は「何故ダンスを始めたのか?」「どうしてニューヨークに行ったのか?」など、他愛のない話から自身の歩んできた道のりを語ります。大それた事は話しません……ただ子供たちが将来、何らかの選択を迫られた時に、役立てて貰えれば。経験を積んだ大人が、選択の基準を話してあげることが何より大切だと、中澤さんは思っています。

◆ダンスとの出会い

中澤さんがダンスと出会ったのは大学1年生の時、何か部活を始めようと、テコンドー部を覗きに行こうとした時でした。「良かったら、うちの部を見て行きませんか?」創作ダンス部の部長が、声を掛けて来たんです。特にダンスに興味はありませんでしたが、部活選びで唯一拘っている事がありました。それは、自分も周りも、一からフラットで始められること。高校時代はもちろん、幼少期からずっとやっている人には敵いません!また、レギュラーしか試合に出られないスポーツの在り方にもずっと疑問を持っていました。創作ダンス部は、その両方の条件をたまたま満たしていたんです。(笑)

所属してからは、とにかく体を毎日動かします。特に全体練習や、カリキュラムなど、メニューがある訳では無いので、先輩の動きを盗み見して練習します。家に帰ってもビデオを借りてきては、見て、盗んでの繰り返し。今のようにYouTubeも無い時代、画質の悪いビデオをひたすら目を凝らし、研究しました。一つ一つの動きが出来るようになる喜び、自分の身体が明らかに変わっていくのを実感できること、日々の成長を感じれることで、より一層ダンスにのめり込んで行きました。

◆いざ、ニューヨークへ

ダンスを始めたのが遅い事にも驚いたのですが、中澤さんは大学を卒業後、一度一般企業に就職します。それも3年です。20代前半、この多感な時期にどれほどの葛藤があったのか?想像に難くありません。「どうしても諦められなかったんです」25歳、男の決断です。満を持しての渡米、いよいよダンスの本場ニューヨークへ飛び立ちます。

ニューヨークではダンスの専門学校に通いながら、ストリートで、スキルを磨きました。学生ビザで入国した為、バイトも出来ず生活は常にカツカツ、それでもダンスが出来る喜びを噛みしめ、ヒップホップ、ジャズ、バレエ、シアターダンスなど、一つの分野に特化せず幅広く学び、武器を増やしていきました。そして、2013年の5月、ついにその時がやって来ます。憧れの劇場〝アポロシアター〟『アマチュアナイト』での優勝です。ステージに立てた喜びはもちろんありましたが、それよりも目の肥えた観客、審査員に評価された事は、今までの努力が報われたのと同時に、自信にもなりました。

優勝後は環境も変わります。今までは学生ビザで滞在していましたが、アーティストビザを取得出来たことにより、就労が可能になりました。プロのパフォーマーとして、お金が稼げるのです。ダンサーとして、講師として、メディアにも取り上げられるようになりました。現在は日本やアメリカのみならず、タイやカナダからも声が掛かります。自分を必要としてくれるのであれば、世界中何処へでも出向くつもりです。ダンスのいいところは、体一つと畳一畳分のスペースがあれば、パフォーマンス出来ること。ステージの大小に関わらず、全力を尽くすのが中澤流です。

そんな中澤さんが大切にしているのが、モチベーションの保ち方。プロになると、ダンスショーなどでは、コレオグラファーが決めた振り付けが多くなります。もちろん仕事ですから手を抜くことはありません。しかし、決められたパフォーマンスの繰り返しは、モチベーションの維持が難しい時期もあります。そんな時は、お客様の目を見て踊るそうです。僕らにとっては日常でも、お客様にとっては初めての体験。目を輝かせて楽しんでいる姿は、何よりの励みになるそうです。

今後は1人でも多くの子供たちに、自信を持った大人の話を聞かせたいと思っている中澤さん。自分以外でも、それぞれの道で極めた大人の話は、子供たちにとって財産だと思っています。講演を重ねる度に、心境にも変化が出て来ました。「もっと、子供たちの役に立ちたい、誰かのためになりたい」今はまだ、自分のやりたいこと、成し遂げたい夢が、たくさんあります。しかし、いつの日か、人の夢が自分の夢になる喜びも感じてみたいそうです。そんな気持ちにさせてくれたのも子供たち……その恩返しが出来るまで、学校での講演は辞められません。

(取材・構成 内藤英一)