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自宅にほど近い物流センターで、いつも元気にテキパキ仕事をこなす“カーゴ女子”。ブルーの制服やキャップがよく似合います。数少ない女性スタッフの一員でありながら「まずは仕事ができないと話になりません」と、今時のOLが聞いたら逃げ出してしまいそうな、仕事に厳しい一面も。SNSやアフターファイブに浮かれることなく、一人黙々と仕事に集中する毎日。これこそが、今まで思い描いていたイメージ通りのワークスタイルでした。
◆イメージは「一人黙々と取り組める仕事」
高校生の時は、校則によりアルバイトは全面禁止。美術部に所属していたこともあり、「100号サイズの大きなキャンバスに向かって、ひたすら絵筆を走らせていました」。その流れもあって、美術系の大学へ。パソコンを使ってCGやデザインを学び、新しいものに取り組む喜びを体感した4年間でしたが、大学でもアルバイト経験はほとんどなく、「今思い出してみれば、友達とダラダラすごしていたような気がします(笑)」。リーマンショックの影響もあり、就活もうまくいきませんでした。「4年間のうちに何かみつかるかなと思っていたんですが、それもなくて困りました」。
4人家族で実家通いではありましたが、「自分の生活費くらいは何とかしないといけない」と痛感し、複数の派遣会社に登録したものの、なかなか自分に合った仕事に出会えませんでした。とりわけ、工場における流れ作業の仕事がことのほか苦痛だったのと、給与の支払いが遅かったことに「これは違うなと」思い、別の派遣会社を選択。どんなことがしたかったのかといえば、「一人で黙々と取り組める仕事がしたかったんです」。邪念は無用、油絵を描いていた集中力が自身のポテンシャルだったのでしょう。
◆自分に合った派遣会社との出会い
派遣会社なんてどこも同じようなもの。当時はそう思っていたそうです。確かに登録は簡単にできるものの、果たして希望する条件の仕事が見つかるのか、あるいは給与面はどうなのかなど、不安はつきまとうものです。ところがその時は違いました。たまたまみつけたサイトではありましたが、「スマホで登録したらすぐに仕事がみつかり、しかも自分の希望していた仕事を紹介してもらえました」。何より、給与が日払いという点も魅力でした。「私って、わがままなんでしょうかね(笑)」。いえいえ、そんなことはないと思いますよ。真面目に仕事を探していれば、人材派遣会社もそれに応えてくれるものですから。
結果、現在の職場に派遣が決まるまで、さほど時間はかかりませんでした。十代のころにアルバイト経験がなかったからとか、与えられた仕事が自分に向いてなかったからとか、そんな心配は無用でした。気分も一新、新しいワークスタイルに踏み出すことになったのです。
◆ミスを周りがカバーする職場で
まずは派遣スタッフとしてのスタート。医療品のサンプルの箱詰めや倉庫でのピッキング作業など、やることすべてが初めてでした。だからこそ、「早く仕事を覚えようと必死でした。ガムテープの扱いなど、ひとつひとつていねいに教えてもらえたんです」。
何といっても、誰もが親切で職場の雰囲気がよかったと当時を振り返ります。忘れもしない過去の派遣で、初心者でもミスも許されず頭ごなしに罵声が飛んでくることの多かったブラックな会社とは雲泥の差。「ひとりのミスは周りがカバーするという体制が確立されていましたし、プレッシャーを感じるような時間的制約もありませんでした」。ようやく自分がやりたかったイメージの仕事に就けた安心感と喜び。「はい、一人で黙々と仕事に集中することができました(笑)」。
ところがわずか1年後、せっかく慣れてきた仕事が別の事業所に移行することに。「もうショックで。一時は退社も考えました。でも働かなきゃならないし」と困っていたところを救ってくれたのは、当時のセンター長でした。「今の仕事ではなくなるものの、同じ職場にいられるよう配慮してくださったんです」。その後、派遣から契約社員に。やっぱり見る人はちゃんと見てくれているのでしょう。
◆大きかった元センター長の存在
午前中は入庫作業を中心に、ピッキングの手伝いなど全般を。午後からは、出荷データなどの処理や電話応対などの事務仕事中心というのが、現在のワークスタイルです。苦手だった電話応対も様になってきました。今では新しいスタッフを指導することも多く、とにかく現場が楽しいというのは話しっぷりでよくわかります。
休みの日には、御朱印帳を持って京都や奈良の神社仏閣をめぐるのが趣味だそう。お気に入りは、代表的なパワースポット・桜井市大神神社や天理市の石上神宮。「仕事を離れて、ホッできる時間を大切にしています」。
確実に成長を遂げてきた7年間。今思えば、毎朝玄関を掃除していたというセンター長の存在が大きかったようです。「毎朝、あいさつだけは元気にしようと心がけてました」。あ!きっとそれですね、センター長が評価してくださったのは。派遣であろうと社員であろうと決して分け隔てしない組織には、高齢の父親を支えながら働く元気なカーゴ女子の存在が欠かせなかったのでしょう。
「たまにはOLみたいにアフターファイブを楽しんでみたいんですけどね(笑)」。
(取材・構成/池田厚司)