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★柳田進介さん(大阪市西淀川区/株式会社リュウシン代表取締役)
水道・ガス・電気に次いで、今や「第4のインフラ」とまでいわれるコンビニ。24時間営業、かゆいとこに手が届く多彩な品揃え、スピーディーな接客など、これほどまで日本の文化に定着するとは、誰が想像したでしょうか。全国でも希少な多店舗経営のフランチャイズオーナーとして、安定した経営を続けること25年。大阪市内の16店は「リュウシンエリア」といわれるまでに成長、実績を積んできました。
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◆社長になりたいと豪語した小学時代
毎週月曜日は、ローソン本部で行われるミーティングに、スーパーバイザーとともに参加。火曜日には、新製品などがあれば16店のローソンすべてに通達しその準備を。そして水曜日になると、傘下の店長が集結する店長会議が行われ、木曜日からはスーパーバイザーが店を巡回開始。このように、1週間のスパンでトップから各店へ情報が下ろされ、かつそれを実行し繰り返し検証を行っていくことが、個人オーナーにはない多店舗経営の強みです。
「会社の社長になりたいと、小学生の文集でそんなことを書いていたみたいですよ」。なぜ経営者の道を?「う~ん、経営者というよりもお金持ちになれそうな気がしたからかな(笑)」。どんなことを聞いても、ていねいにおだやかに答えてくれる人柄は温厚で、想像していた社長像とはかけ離れていました。
最近の課題は、何といっても人手不足。「近い将来、電子タグが導入されキャッシュレス化が進展すると人件費などのコスト削減も期待できなくはないですが、人は宝ですから。それだけでは問題は解決しないと思います」と、店長クラスだけでなくクルーへの研修も独自に行っています。
◆人生の分岐点になった入院生活
大阪府豊中市生まれ。父親は建築関係の職人でしたが、それにはまったく興味がありませんでした。結果、高校卒業後はホテル観光や飲食関連の専門学校へ。卒業後百貨店へ勤務したのが、唯一のサラリーマン生活でした。「性格的に前に出るタイプではないので、いずれは自分で商売したほうがいいだろうとは思ってました」。
ある日、体調不良で入院生活を送ることに。診断の結果は肺炎。初めて経験した大病で精神的にも堪えましたが、「逆に、長い入院生活が将来のことをじっくり考えるいいきっかけになりました」。
時あたかもバブル崩壊期。世間を見渡しても、なかなかいい話もありません。たまたま、こつこつと貯えてきたお金もある。独立しかない。当時としては走りといわれたフランチャイズビジネス。小売業、外食業、サービス業などのジャンルからコンビニを選んだ理由は、「近い将来、日本の文化に必ず根付くと踏んだからです」。まちを歩いていても、コンビニはさほどなかった時代。1993年春、入院という突然のアクシデントが人生の分岐点となりました。
◆部下のありがたみを知った2度目の入院
わずか20代後半でつかんだフランチャイズオーナーというワークスタイル。先見の明があったのでしょう、景気に左右されことはさほどなく順調に店舗数を伸ばし、手応えは確かにありました。
7年前、3カ月に1度の健康診断で、肺結核がみつかりました。自覚症状はまったくありませんでしたが、結局緊急入院。「え、って感じでした。それまで胃潰瘍や十二指腸潰瘍の経験はありますが、入院することはなかったので」。長年の疲労蓄積で体が悲鳴をあげている。しかも2人の子どもたちはまだ中学生。「これは真剣に治さないと、えらいことになる」と、タバコもぴたりとやめて治療に専念。会社のほうは大丈夫だったのでしょうか。「約1カ月半の長期でしたが、しっかりやっててくれてうれしかったです」。この時ばかりは、部下のありがたみを思い知らされた入院生活でもありました。
◆それでも走り続ける意志と統率力
これ以上会社に迷惑をかけることもできず、健康維持増進の目的も兼ねてマラソンや登山を始めました。しかも家族全員で取り組むことで、家族間コミュニケーションにも貢献。そして「会社行事の一環として、野球大会や運動会、リレーマラソンに参加したりもしました」。おかげで傘下のクルーとの交流も深まりました。
ところが今年6月、出場したマラソン大会を途中リタイヤ。「いつもと違うなと走ってる時から感じてたんですよ。そのうちだんだん息が苦しくなってきて」。今度は気胸でした。またもや入院生活に入りオペも経験。にもかかわらず、10月末から11月にかけて大きな大会が3つも控えているのだそう。そこまでして頑張れる理由は?「マラソンも仕事も、挫折したら終わり。苦しい時こそ踏ん張らないといけないんです」。
世はまさにコンビニ戦国時代。店長やクルーのことを考えたら、24時間営業が正解なのかどうか、疑問に感じることも少なくありません。かといって、独自性をなかなか打ち出せないフランチャイズという微妙な立場も、多店舗経営オーナーにとってはジレンマの材料でもあります。
3度の入院生活。年内のマラソンスケジュールもあと3回。3がラッキーナンバーになって欲しいと、社員も家族もそう願っています。
(取材・構成/池田厚司)