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たったひとつの出会いが、人生に大きな影響を与えることが少なくありません。数年間で急成長を遂げた中尾運輸の引っ越し部門・LIVE引越サービスの赤穂幸一さんは、かつての職場で有能な先輩社員と出会い確信しました。この人がリーダーならついてゆける、と。競争が激化する引っ越し業界で、他社にはできないサービスを追求しながら、リスペクトするリーダーに自分を投影し、自身のワークスタイルを貫いています。
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◆「断らない」営業
創業は1965年。当時は荷造り用品の販売や家具・室内装飾品などの各種梱包・運送業務が中心でした。1980年にはこれまでのノウハウを生かし、引っ越しサービス業にも参入。2001年に東京支店開設を皮切りに、LIVE引越サービスを設立、個人を対象とした本格的な引っ越しサービス業をスタートさせました。現在、大阪市住之江区の本社を拠点に、東京・横浜・千葉・神戸それぞれに支店を置き、従業員160人・車両55台の陣容でさらなる業務拡大中です。
「2000年前後に、ちょっとした引っ越しブームというのがありました。そうした時代背景も追い風になりましたが、今では個人の引っ越しだけでなく、法人の事務所移転などにも営業力を強化しています」と赤穂さん。この日は、取材のために時間をとっていただきましたが、普段は営業の外回りがほとんどの超多忙人物。「日中、事務所にいることはまずありません。今日はたまたまですが、のんびりしていちゃいけませんね(笑)」。時折、心ここにあらずのような表情が見え隠れするのも、何か気になる案件があるのかも知れません。
入社は2013年。顧客は個人宅が多く、えっと思えるほど急な引っ越しに対応しなければならなかったり、ユニークな荷物の運搬を依頼されることも珍しくありません。「昔、馬のオブジェのようなものを運んだことがありました。京都から北陸まで、1台のトラックに1頭だけを載せて(笑)。これまで色々な依頼がありましたが、基本、断らないのがポリシーなんです」。
◆何かを感じることの必然性
現在47歳。八尾市出身。東大阪市の公立高校在学中、初めて手がけたアルバイトが引っ越し業務でした。「決め手は何といっても日払い制だったからです。高校生にとってはこれがありがたかった。しかも当時は時給もよかったんです」。仕事内容より支払い条件を優先して選んだアルバイト。結果的に、この仕事オンリーできたのには、何かほかに理由でもあるのでしょうか。「引っ越し業務というのは、訪問先がいつも違います。荷物も違うしお客さんも別物。だからでしょうか、仕事そのものが飽きなかったんです。お客様から喜んでもらった時もうれしかったです」。
ほかのアルバイトへの興味は?「なかったですね。若かったので体力もあったし、じっとしているより体を動かせる仕事のほうがよかった。そもそもデスクワークが嫌いだったんです(笑)」。やがてアルバイトから社員へ。雇用される側もされる側も、何の迷いもなかったのでしょう。
職場に、ある先輩がいました。「ほかの人たちと何かが違っていたんです」。それは赤穂さんのインスピレーションでもありました。具体的な仕事ぶりがどうのこうのではなく、何かを感じるものがあったのでしょう。赤穂さんにしかわからない感性。その思いは年々強くなってきたそうで、「尊敬しました。もちろん今も。と言いつつ、毎日足を向けて寝てますけど(笑)」。
3~4年同じ職場で働きましたが、訳あって先輩が退職。赤穂さんにとっては意外な展開でした。尊敬する人のあとを追うべきかどうかずいぶん悩んだ末、自身も退職を決意。長い間勤め上げてきた会社であることから葛藤はありましたが、「後悔はしてません。これまでの人生の中で、最大の分岐点だったような気がします」。その後、自ら先輩に願い出て再就職。第2エンジンの発動となりました。
◆リスペクトする先輩の後を追って
いわば、自分の人生を賭けてまで追いかけてきた先輩。その人物こそ、中尾運輸の新部門であるLIVE引越サービスを立ち上げた現取締役社長・東宏樹さんだったのです。新しい部門のリーダーを任され、宅配業者や他社の引っ越しサービス会社では不可能なことも「断らない」営業スタンスを貫くリーダー。「すごい人ですよ、本当に」。そんなリーダーとしての資質を、赤穂さんは前職場ですでに気づきリスペクトしていたに違いありません。
赤穂さんが入社当初は、高松や渋谷、新宿などのコールセンターで3年勤務していたことがありました。あれほどデスクワークがイヤだと言っていたのに?「電話受付の仕事でしたから(笑)。でも当時の経験は、今ちゃんと生きてます」。初めて経験するコールセンター。見積依頼などお客さんとダイレクトに話すことが仕事。結果、営業としてさらに必要なスキルも身につきました。3年間のコールセンター勤務は、赤穂さんのさらなる戦力アップを願った東社長独自の社員教育メソッドだったのかも知れません。
「あとで聞いた話なんですが、東京支店開設当時スタッフは10人いましたが、営業は東(社長)1人だけだったんです。今でこそスタッフ100人以上にもなり、年商も当時の10倍以上になりました。会社をそこまで成長させてきて、やっぱりすごい人だったんだな、と改めて思いました」。リーダーの先輩が引っ張る会社で、また一緒に仕事ができるプライドと喜び。この人についてきてよかった。社員として男として、やり甲斐を感じないはずがありませんでした。
◆ネットの時代だからこそ顔の見える仕事を
過去には、地域の事情で住民48世帯が団地に引っ越しする大仕事を経験しました。行政機関の部署移転などに実績を残してきたことが自信になり、3日間で80人のスタッフを要してオフィスの大移転も手がけました。時代を反映して介護施設から介護施設への引っ越しや、遺品整理の仕事も増えてきました。ニーズがあれば、引っ越し先にも出向いてエアコン設置などのキメ細かいアドバイスを積極的に行うなどの営業力も強みとなりました。「断らないということは、お客様の役に立ちたいということ。だからこの仕事はやっぱり楽しいんです。楽しいからずっとやっていられるんだと思います」。
同業他社との競争も激しいのでは?だからといって、「価格で勝負する営業はしたくありません。やっぱりお客様に直接会って思いを伝えたいんです。この仕事、響いてナンボです(笑)」。顔の見えないネットの時代だからこそ、じかにお客さんに寄り添いたい。広告宣伝費に余計なコストもかけたくない。ハートフルな営業活動の先にある、信用を大切にしたいから。「結局、一つ一つの積み重ねがジャブのように効いてくるんです。だから、断らないんです」。
10年足らずの間に結果を出したリーダー。そんなリーダーの背中を追いながら、自身も負けじとフルスロットル人生。人や仕事に、何かを感じること。感じなければ響かない。かつて赤穂さんがピンときたインスピレーションは、自身のポテンシャルをさらに磨く原動力となっています。
(取材・構成/池田厚司)