}
24歳という若さで、障害者グループホームを地元で立ち上げた鶴田 愛さん。なかなかやりますね。「いやぁ~そんなことないですよ。色々やらかしてきましたから(笑)」。失敗を失敗とは思わない超ポジティブシンキングが愛さんの持ち味です。それぞれの共同生活を送る人たちに寄り添いながら、オープンして1年少し。一歩また一歩、オーナーヒストリーを刻み始めています。
☆ ☆ ☆
◆不足する障害者グループホーム
ここでは、18歳から64歳までの知的障害者が共同生活を送っています。平日は、朝食後それぞれ決まった事業所や作業所へ出向。夕方に帰ってくると入浴と食事を済ませ、個々の部屋で自由時間のあと就寝。愛さんはそんな規則正しい共同生活を通じて、個々の変化を日々注意深く見守っています。
男子ばかり5人による共同生活。しかもほとんどが愛さんより年上。もちろん働き盛りの青年も。「日中よく働かれるからでしょうね、みなさんとっても食欲旺盛です(笑)」。経営者としての重責を背負いながら日常のディテールもちゃんと把握しています。決して現場仕事をスタッフに任せっきりにはしていません。
沖縄出身の53歳の男性は、以前複雑な家庭事情で父親と同居していました。ある日突然、父親が病死。そのまま一人暮らしを続けていましたが、勤め先で持病の発作をたびたび起こしついに入院。幸い退院はできたもののいつ発作を起こすかわからず、もう一人暮らしは無理だろうと判断されました。相談員と慎重に検討した結果、入居が決定。施設入居第一号となりました。現在はデイサービスに通い、医療機関との連携のもと健康面は安定。「共同生活ができてよかったです。とはいえ、さまざまな事情でご家族と同居が難しいケースが増えているんです」。行き場のない人たち。障害者向けグループホームの数がまだまだ足りないのも現実です。
◆目的を定めて約束を守る
取材の日は、パリッとしたグレーのパンツスーツで登場。いつもこんな服装でお仕事?「まさか(笑)!。もっとベタで動きやすい服装で走り回っています」。ハキハキした口調、そして早口女子。「だからでしょうか、そんなに生き急いでどうするの?って言われたことがあります(笑)。アハハハ」。明るくてフレンドリー。プラスアグレッシブ。愛さんのようなキャラなら、ぐいぐいと力強く人を引っ張っていけそうです。
アパレルメーカーの倉庫で働く20歳の男性は、特に健康的にも性格的にも問題もないのに急に休みがちになりました。どうやら、つきあっていた女性とうまくいかなくなったことが原因のようでした。何とか職場復帰させることはできないものか。そこで愛さんは考えました。「アニメやペットが好きだったことに着目したんです。もし1週間休まず勤務できたら、週末はメイドカフェと猫カフェに連れて行ってあげる!と」。効果はてきめんでした。「普段はクールな子だったのに、外出時はとってもやさしい一面をかいま見ることができて、二重にうれしかったです」。
身近な目標があれば、誰でもきっと頑張れる。そう信じて実行した愛さん。それだけではなく、約束は必ず守るものというルールの意識づけもできました。
◆人が最期を迎える時
愛さんは5人兄弟の長女。わずか18歳でシングルマザーに。大変だったでしょ。「もう働くしかありませんでした(笑)」。幼子を抱えた愛さんがやっと定職に就けたのは、とあるリハビリ病院でした。初めての看護助手としてのスタート。上司が怖すぎてバインダーで頭を殴られたこともあるという愛さん。「当時は何くそ!と思いましたけどね(笑)」。
当時受け持った患者の一人に、80を超えた高齢者がいました。「品のあるおばあちゃんで好きだったんです。知り合ったころは会話もできたんですが、病状が悪化して日に日に弱り、初めての夜勤の日についに帰らぬ人となったんです」。ショックで落ち込んでいたら、先輩の看護師のひとことが重く心に響きました。「人が亡くなる瞬間というのは、最期を看取ってもらいたい人がいる時に訪れるものなのよ」と。
さらに、死に化粧をさせてもらい家族が来院した時、「こんなきれいな母を見たのは何年ぶりかしらと言われて、すごく感謝されたんです」。人と接し命に関わる仕事を経験しただけでなく人にも喜ばれ、「働くことの実感をしみじみ知りました」。兄弟には生まれつき障害を抱える妹や弟が3人いる愛さん。中学生のころはいじめにも苦しんだ愛さん。あまりいいことがなかった少女時代があったからこそ、苦難を乗り越え人にやさしくなれたのかも知れません。
◆驚異の肝臓がある限り
人の言っていることは理解できても、発語ができない障害を持つ29歳の青年。それまでは施設をたらい回しされ、同居中の母親の心労は限界にきていました。最後の砦ともいうべきグループホーム。どうせここでも断られるのだろう、と。
母子を交えて色々ヒヤリングしながら、愛さんは青年の一挙一動を注意深く見守っていました。すると、「お母さんの話を聞きながら、私の顔を見て小さくうんうんと頷いているのに気がついたんです。そして思いました、これならうちの施設でも大丈夫だ!と」。母親の思いはちゃんと子に伝わっている。黙っているのは反発しているからじゃない!と確信したことで、青年を迎え入れることを決めました。
入所直後はトイレも入浴も介助が必要でしたが、自分の誕生日にケーキをつくりたいと言い出したり、人が欲しいものを誰よりも先にサッと取って渡してくれたり。「ほめられるのがうれしいので、何でもどんどんできるようになってきました」。今では介助もほとんど必要なくなり、共同生活にも支障なく暮らしています。施設名よろしく、「人と人との架け橋になれたことも収穫でした!」。
まさに、障害者の可能性と向き合った勇気と決断の結果。これまで営業職も何度か経験してきましたが、営業力だけでうまくいくとは限りません。「人のためこそ我が身なり」という、愛さんの世界観が今もブレないでいるからこそでしょう。
7歳になる一人息子も、今や入居者とすっかり顔見知りで「まるで友達同士みたいです(笑)」。新規のグループホーム3カ所の開設も決まっています。公私とも充実。「500㎖のビールなら12本は軽々いける肝臓に支えられていますから(笑)」。
(取材・構成/池田厚司)