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「自信」が仕事のエネルギーになる。

2021.11.102021.11.10

★株式会社Cominix 代表取締役/柳川重昌さん(大阪市中央区)

切削工具の専門商社としてトップを誇る「株式会社Cominix」。世界各国における営業拠点の拡充やM&Aを軸とした事業規模の拡大、鉱物資源ビジネスといった新規事業の展開にも積極的に臨み、2020年11月には創業75周年を迎えました。常に挑戦し続けるその理由を、柳川重昌代表取締役社長に伺いました。

 

 

◆「やるしかない」の一心で

 

Cominixは1950年に大阪工具株式会社として設立。ところが、高度成長期真っ只中の1965年には日本の景気が全体的に急下降してしまいます。柳川氏が入社したのはそんな「昭和40年不況」と呼ばれていた頃でした。

 

「当時、社員は20人ほどの小さな会社だったので親戚から『不況でどうしようもない。人手が必要だから手を貸してくれ』と言われて入社を決めました。工業系の大学を出ていたこともあり、知識はあったので迷うことはありませんでした」。

 

その後、時代の後押しもあり、会社は次第に軌道に乗り始めます。柳川氏は1994年に専務取締役に就任すると、翌年には初の海外進出を決めます。挑戦の地に選んだのはマレーシアでした。

 

「ちょうど日本の製造業が海外に出始めていた頃でしたが、我々のような部品加工のメーカーが進出するのは極めて珍しいケースでした。ところが社員をほぼ現地で採用したところ、日本の常識が通用するわけもなく、なかなか思うように事業が進まなかったんです」。

不運なことに1997年にタイを中心に始まった「アジア通貨危機」も重なり、1998年にはマレーシアを撤退。しかし、2000年代に入るとタイへの進出を皮切りに中国、フィリピン、インドネシア……と次々に海外拠点を増やしていきました。

 

「また失敗するかもしれないという考えはありませんでした。それよりも、売上を増やして利益を出すためには事業を大きくしていくことが先決だと考えたのです」

 

失敗を恐れない”攻め“の経営。柳川氏が描いた通り売上は順調に伸びていき、グローバル展開を図ることを目的に社名を「株式会社Cominix」に変更した2018年の売上高は前年比12.9%増と、堅調に成長を続けています。

 

近年ではM&Aを通じてグループとしての売上拡大を図るとともに、完成車メーカーとの取引拡大も視野に入れているといいます。

 

◆商売の基本は「自信」

 

昭和から平成、令和へと製造業の激動の時代を生き抜いてきた柳川氏。その道程は決して平坦ではなく、茨が足に絡みつくことも、ときには立ち止まることもありました。新型コロナウイルスによる日本経済の落ちこみが業績に影響しなかったかといえば、嘘になります。ところが柳川氏は、決して後退しません。

 

「失敗するかもしれないと考えるよりも『必ずなんとかなる』と前を向くほうが性に合っているんです。ひとつ挙げるとすれば、ここまで自分を突き動かしてきたものは「自信」だと思っています。同業者には決して負けないという確固たる自信。自分でやりきるんだという強い意思。それらがエネルギーとなっていることは間違いありません」

だからこそ、これからCominixを引っ張っていく社員たちにもそうあってほしいと話します。

 

「商売にマニュアルは存在しません。現場に出て、目で見て肌で感じたことを糧にし、何でも自分でやろうと考える。『親の背を見て子は育つ』と言いますが、仕事も同じ。手取り足取り教わるのではなく、自分の頭で考えて、自分の足で一歩を踏み出す。その積み重ねが自信をつくっていくのではないでしょうか」

 

現在ではリモートやオンラインの活用が定着し、現場に行かずとも仕事が完結する時代。しかし、自身も社員時代には飛び込み営業を繰り返して新規開拓を図っていた柳川氏だからこそ、一つひとつの出会いを大切に、顧客との人間関係を構築していってほしいと願っているのです。

 

「今後も新しい事業に挑戦し続け、広く社会に貢献できる企業を目指したいと考えています。それが、顧客の皆さま、仕入先の皆さま、そして社員全員の『幸せ』につながっていくと信じています」

 

自社の技術、自分の力に「自信」をもち、「幸せ」を創造していく。柳川氏の常に挑戦し続けるその背中には、強い信念が刻まれています。

(取材・構成/内川美彩)

 

会社概要

株式会社Cominix

本社所在地:〒541-0054 大阪市中央区南本町1丁目8-14 堺筋本町ビル

TEL:06-6765-8201

https://www.cominix.jp/

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