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株式会社パソコンレスキューサービスは堺泉北臨海工業地帯のお膝元、石津町で地域のパソコンサポートなどを行う会社。生まれた和歌山で骨を埋める!と大好きな和歌山での暮らしをイメージしていた伊藤社長。ですが、運命の神様は伊藤社長の才能を見逃してはくれなかったようです。
結婚を機に泣く泣く大阪に来たはずの専業主婦だった伊藤社長が会社を立ち上げ今年でちょうど20年、どのような思いで走り続けてこられたのかをお伺いしました。
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◆世の中がグレー一色、これはダメだ。
結婚を機に右も左もわからない堺に住むことになり、子育てをしながら専業主婦をされていた伊藤社長。和歌山時代にはJA和歌山県農でバリバリと働いていた暮らしとはうってかわって、家からまるで出ない日々。「もうね、グレーになっちゃう。世間も私も」。地域誌をぼんやり眺め、テレビに話しかけるようになった自分に危機感を感じ、仕事を始めようと司法書士事務所に勤めることに。そんな中で新しくパソコンのサービスを始めたいと考えている前身の社長と知り合うことになります。
「お話し聞きにいったら狭い事務所に机一つ、社長一人。大丈夫かなって、正直思った(笑)」
時代はWindows3.1からWindows95への移行期、これからもっと必要になってくるんじゃないか、面白いかもしれないと、伊藤社長は当時の最低賃金、時給680円のパートという形で、会社の立ち上げから手伝うことに。
司法書士事務所のお手伝いもしながら、子供を保育園に預け、二足のわらじで始めたのがパソコンレスキューサービスの前身になるのです。
◆クライアントさんの「そういうことか!」で、電気がビビビッ!
創業当時は個人の会員さん(※パソコンレスキューサービスは会員制運営)が多かったのもあり、お困りごとで呼ばれては出かけて修理、修繕、使い方などを教えていた伊藤社長。
「これをね、こうしてね。ってお客さんに教えるでしょ。そしたらあー!って理解してくれるタイミングがあるんです。技術料もらうとき、ビビビッて電気が走りましたもん(笑)ありがとう!って感謝してもらえて、その上技術料も貰える。こんな面白いことない。これが天職なんだって思ったんです」。
二足のわらじで体を壊してしまったのもあり、レスキューサービスに専念するように。
「お手伝いしますっていいつつ、サブマネージャーになってました(笑)」ビビビッを感じた方の推進力は凄いです。
◆すっからかんだったけど、怖くなかった。
時代はPC環境が整えられだした、Windows景気、会員数も増え、仕事に邁進していたとき、当時の社長が、くも膜下で倒れてしまいます。そこで伊藤社長一大奮起、お金をかき集め、社長とも相談し、会員さんを引き継いで会社を設立することに。
「ほんとに0。すっからかんでしたけど、明日になったらお金が入ってくるから怖くなかった。今まで一緒にやってた人たちにも声をかけてね。ちょうどウィルス対策が必要というタイミングで、そこからは倍々ゲーム」。
忙しくはなったけど、今までのサポートだけでは面白くないと考え、ネットワーク構築やサーバ設定などを会社のみんなで勉強する日々。
「もともとはね、いわゆるお嬢育ち、小さい頃から花道・茶道・書道、道のつくことはちゃんとやっておきなさいって母にいわれて、高校あたりで師範まで取るような真面目な子だったんです(笑)書道は師範代まで取りました」。
小さい頃から鍛えた姿勢が本当の意味で役に立っておられる。学ぶ姿勢はハード面だけでなくソフト面にも。司法書士事務所でやっていた簿記の知識を生かし、会計ソフトの認定インストラクターを次々と取得。メーカーの認定店としても名前を連ねられるようになっていきます。「とにかく当時はパソコンレスキューの名前を知ってもらうことが大切やと思って、昼も夜も懇親会や飲み会やら、とにかく会社の名前を知ってもらいたかった」。
思いを形にされた証明のように、伊藤社長の名刺裏書きには所属団体や技術支援機関がずらりと並んでいます。
◆トライすることをやめない、楽しいから。
「小さい頃からやっていたことが無駄じゃなかったって思っていて。偶然なのか必然なのかわからないですけど、やってきた事が今に繋がってる。おもしろい人生です」。
和歌山JA県農では組織の仕組みを学び動かし、出産前に働いていた橋梁企業では職場環境を改善し、司法書士事務所では簿記などを学び会社の立ち上げメンバーからの自ら起業、伊藤社長の経歴とエピソードだけで本が書けますね。と、おもったら、もう本になっていました。
「anego」なんですね。
現在、パソコンレスキューサービスの事業はサポートだけでなく、ITコンサル事業や機関ソフトの導入支援など多岐にわたっておられるようですが。「頼られると、なんとかしたろ!って思ってしまう性格なんです」。まさに姉御。人の為に働くのがお好きなんですね。と伺うと間髪入れずに「うん、好き!そういうの好き!」とニコニコしながらお答えしてくれました。ほんとうにお好きなのが伝わってきます。
「当たって砕けるのも好きよ。なんにもしないで見てるよりずっと楽しい。やって砕けたほうが楽しい」。パワフルです。
◆<はたらく>って、傍(まわりの人)を楽にする。って意味もある。
お話を伺ったミーティングスペースには、ほっとけない精神が堺市に認められた証の感謝状が飾ってあります。堺市の女性起業家メンターを二期(一期3年の6年間!)勤められ、起業女性ならではの悩みにも向き合われました。もっとベンチャー起業と関わりを持とうと、インキュベーションセンターに技術センターを設置し、そのなかで新しい繋がりも企画。「何かを生み出すのが好きなんです、死ぬまで治らないかも?」そう言っておられる表情がすでに楽しそうです。「私ね、働くって、人が動くの働くという意味だけでなくて、はた〈傍〉らく〈楽〉だと思ってるんです。私のまわりの人を楽にする。楽しくしたい。そのために働く」。まさに体現してらっしゃいます。
◆「字と恥しかかけません」。
なんともインパクトのある一言。初めて就職をしたのはバブルが弾けた就職難の時代、30倍以上の倍率でもう開き直るしかないと、伊藤社長が面接で放った言葉です。「趣味などはありますか?」と最後に聞かれた質問に、「師範代までやった書道があったので、“字と恥しかかけません”って(笑)順番一番最後で、一か八の気分だったから」。と話す伊藤社長。頭の回転の良さ、場の和ませ方を知っているパワフルな人であることが、きっと面接官にもビシビシ伝わっていたはず。
「何事も無駄にしたくないって思う、やってきたことはなんとか形にしたいって思う」。そんなにやる事いっぱいだと疲れませんか?「最近ね、しんどくなる前に控えないとって思うようになったところ。セーブすることをやっと覚えたんです(笑)」本当にパワフル。
「これからはもっと戦略的になろうと、色々企んでます。まだまだ引き出しにいっぱい隠してるから」。すこし不敵な笑みを浮かべながら楽しそうに話す姿。楽しみです。
傍を楽にしながら、ご自分も楽しんで〈はたらいて〉いかれるのでしょう。
「根本的に昔からスタイルはかわってない。そこが〈はたらく〉の原型かなって」。
(取材・構成/TORQUE T.Teratani)
会社概要
株式会社パソコンレスキューサービス
本社所在地:大阪府堺市西区浜寺石津町西4-19-5
TEL:072-243-9901
https://pcrs.jp/