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お母様のひとことで一念発起し、自らの肉体をスポーツで鍛え、常に謙虚な気持ちで職場に接して。気がつけば、契約社員から正社員の道を歩み始めていました。一貫してブレない仕事に対する姿勢。これこそが、自身を支える大きな原動力になっているのです。
◆奮い立ったお母様のひとこと
今から11年前。以前勤めていた会社を辞め、ドライブに出かけたり好きなお酒を飲んでみたり。自分では鋭気を養うための貴重な1カ月だと思っていたものの、一緒に住むお母様だけはそうはさせてくれませんでした。「いつまでそんなことをしているつもり?さっさと仕事に就きなさい、といきなりビシッと言われたんです(笑)」。
そして、以前お母様が派遣スタッフとして登録していた派遣会社に上村さんも登録。数日後、数種の倉庫や物流会社へ週2~3日。梱包の仕事や検品、引っ越し、ピッキング軽作業などの仕事に従事しました。上村さん自身よかったなと思ったことは、給料が日払いだったという点。「これはありがたかったです。毎日足を運ぶことで、会社のかたとも仲良くしていただき、日々の支えになりました」。
その後、派遣先は現在の物流会社1社に。「正直、体力的に一番きつかったです(笑)。でも私は仕事をしているという実感がありました」。今時珍しい、きつい仕事を嫌がらない性格。このことが、結果的に上村さんの仕事人生に大きな影響を与える結果となりました。
◆心の通う職場を実感できた喜び
仕事そのものにじっくり打ち込めて、日給をもらいにいくために毎日夕方派遣会社へ。精神的にも少し余裕が出てきた29歳の時、スポーツジムのバスケットボールと出会いました。上村さんは高校時代、バスケットボールに明け暮れ、あの田臥選手(日本初NBAプレイヤー・プロバスケットボール選手)みたいになりたい!と、憧れた時期もありました。バスケのコートで汗を流す快感。「最初は(バスケが)死ぬほどしんどかったです(笑)。でも不思議なもので、練習に慣れてくると当初きついと思ってた仕事も、楽になりました」。上村さんをさらにやる気にさせたのは、職場の人たちの人柄でした。社員や派遣などの区別なく声をかけてもらい、心の通う職場を実感したことでした。ますます仕事にやる気がみなぎった上村さん、「よく考えてみたら、壁をつくっていたのは自分だった気がするんです。自分は派遣だ、という思い込みによって」。派遣先の上司は上村さんの仕事ぶりをちゃんとみていました。やがて、契約社員への道が開かれる日がきたのです。
◆会社に必要とされていたからこそ
「正直悩みました。不思議でした。自分のような人間が、なぜ社員なんだろうと」。突然の契約社員登用への打診。百人中百人が喜ぶべきところなのに、上村さんは違っていました。さらに上村さんを悩ませたのは、このまま同じ会社にいていいのだろうかという葛藤でした。「ほかにやりたいことがあったわけではないのですが、年齢的なことも決断を鈍らせました」。
そこで思い出したのが、派遣スタッフだったころ同じように社員登用となった職場仲間のことでした。当時は人ごとでしかなった出来事。それが今自分のこととしてのしかかり、プレッシャーとなりました。
結果、登用の話を受諾したのは「会社から必要とされていたことがよくわかったからです」。もう上村さんに迷いはありませんでした。これからは、自分のことより会社のことを第一に考えて仕事に取り組むことを決意した瞬間でもありました。ただひとつ、これまで何かとバックアップしてくれた派遣会社を離れることになったことに、一抹の寂しさを覚えたのでした。
◆社員登用を誰よりも喜んでくれた人
4年後には、ついに正社員へ。そして上村さんの脳裏をよぎったのは、「これでまた責任が重くなるな、と(笑)」。当時の交際相手と結婚する決心もつき、社員登用とほぼ同時にめでたくゴールイン。仕事にも自信がつきました。
「何カ所かあった派遣先のうち、一番キツかった会社に落ち着くことになるとは(笑)」、人生はわからないものです。あのころ、決して文句を言わず投げ出さなかった自分がいたから、今の自分があるのでしょう。「やっぱり一生懸命やっていれば、いいことがあるものです」。
最初の派遣から数えてちょうど10年。脇目もふらず、同じ職場で精を出してきたことが実を結びました。このことを誰より喜んでくれたのは、ほかならぬお母様でした。「あの時、ブラブラしていた自分に喝を入れてくれた母のおかげです」。現在はそれぞれ別のくらしをしていますが、お母様に対する毎月の仕送りは欠かせたことがありません。今度は自分が家庭を持つ立場となった上村さん。親孝行は始まったばかりです。
(取材・構成 池田厚司)