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★松村和仁さん(46歳/大阪市東淀川区「うどん処 松」店主)
多くのサラリーマンや学生が乗り換えなどでごった返し、駅前商店街には数多くの飲食店が軒を連ねている阪急京都線・淡路駅。駅前からすぐという好立地に店舗を構えて以来、今年12月に開業して3年を迎えます。学生時代は居合道の主将として全国大会で3位入賞の経験も。何をするにも体力と気合で乗り切り、決して弱音を吐くことがなかったワークスタイルの根底には、青春時代に培ってきた武道精神が息づいているのかも知れません。
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◆自分のブランドのうどんをつくりたかった
店の入口は駅前側と商店街側の2カ所に。特に駅前側は、まるでフレンチ創作料理店かと思うほど洗練されたエントランス。シンボリックにデザインした店のロゴマークも印象的で、店名は苗字からシンプルに引用。「実は最後の最後まで本当に悩みました。もうそろそろ決めないと施工が始まってしまう、というくらいまで引っ張りました(笑)」。
店内は明るめの照明のせいか、誰でも気軽に入りやすい雰囲気を醸し出しています。総席数は31。もっと詰め込めば40も可能ですが、ゆっくり落ち着いて食事をしてもらいたいとの思いから、あえてゆったりめに設計。土地柄、どちらかというと周辺には居酒屋が多いからでしょうか、家族連れで気軽に入れる店でありたいというコンセプトは当初のままです。「お鉢を小さな両手で抱えたお子さんが、おいしそうに出汁を飲む姿がとっても微笑ましいですよ」。女性の一人客も多く、近くの大学に通う中国留学生が毎日通っていたことも。居酒屋をハシゴしたサラリーマンが最後に暖簾をくぐる「〆のうどん」とは、少し趣きが違います。
一見、讃岐うどん。コシもしっかり。それでいて、稲庭うどんを思わせる艶やかでなめらかなのどごし。それぞれの特徴を生かした独特の食感こそ、「こんなうどんをつくってみたかったんです」。しかも添加物の使用は一切なし。こうして製麺されたうどんは、子どもにも女性にもやさしい自分だけのブランドをつくり上げました。
◆自分の夢を実現するために
この場所は、もともと両親がお弁当屋さんをやっていたところ。もっといえば、その前はかつて職業軍人だった祖父が小さな食料品店を営んでいました。ということは親子三代にわたって経営者?「そういうことになりますね。自分もいずれお店をしようと、若いころからずっと思っていましたから」。
そんな思いは、大手居酒屋チェーンの料理人として10年間厨房にいたことに起因。中でも、6年間いた北陸勤務でいっそう確信したのだとか。「昼間に営業している居酒屋があったりするんです。定食類もありましたし、昼も夜も家族連れで楽しむ姿が印象的でした。こういうのは大阪にはなかなかないなと」。料理人としての腕を磨きながら、経営者としてのイメトレも着々と。回転ずしやファミレスも頭をよぎったものの、最終的な思考の着地点はうどん専門店だったのです。
大阪へ戻ってからは親の仕事を手伝ったり、人材派遣会社に登録してアルバイトスタッフとして工場や倉庫で働いたり。あせらずあわてず、寄り道することもなく。一見遠回りにも思えるワークスタイルではありましたが、少しずつ自分の目標に到達するための強い意志がブレることは一切ありませんでした。
◆アルバイトスタッフとして学んだこと
派遣スタッフとして、飲料品にノベルティの取り付けやアパレルメーカーの倉庫で重い荷物の積み下ろしなどを4年間経験。飲食とはまったく無関係なのになぜ?「体を動かして汗するのが好きだったので、すごく楽しかったです」。やっぱり体育会系。というより、まさに働く者としての鑑でもありました。
残業を拒まず、与えられた仕事はきちんと全う。不平不満もなし。案の定、そんな姿勢に惚れ込んだ上司や職場責任者から“甘い誘惑”もしょっちゅう。でも決して誘いに乗らなかったのは、まだ夢の途中だったから。しかも、「上の人がアルバイトスタッフをどう使っているのか観察しつつ、今必要とされる作業は何かを常に考えていました」と至って客観的。自分だったら人にどう動いて欲しいと思うか、頭の中ですでにオペレーションが出来上がっていたのかも知れません。
ある日、ふらりと立ち寄ったワインバーで自分の夢をさらに後押ししてくれる出来事がありました。「たまたま席の近かった人が、年商14億円を超える飲食店グループの実業家だったんです」。思わぬところでの大物との出会い。そこで響いた言葉が、「理想ではなく確信を突け、というひとことでした」。単に夢を描いて高望みするのではなく、単価やメニューを常に検証して、本当に必要とされている店かどうかを常に自問自答すべきと。派遣スタッフとしての4年間は、刺激の強い実り多き年月でもありました。
◆キーワードは「整理整頓」
自らうどんを食べ歩くこと50軒以上。大阪市内にある讃岐うどん専門店で修業を積み、製麺機を製造しているメーカーにも足を運びました。すべては、「讃岐うどんの製法で自分が考えるイメージのうどんに近づけるために」。麺も出汁も。
2年前には大阪市あきないグランプリで優秀賞を受賞。食べ物専門のネットサイトでは、「吸いつくようなうどん」「長い美白麺」「お汁の美味しい饂飩屋」など、自身が目指していたうどんのあるべき姿がそのまま評価されています。「うれしいです。働くということは、誰かのために役立つことだと思ってきましたので」。
かつては使われる身でしたが、今はアルバイト数人を使う立場に。キーワードは“整理整頓”。「ホールでも厨房でも、それが守られていれば作業効率はよくなりますし、結果的にいい店として機能していくはずですから」と、自らの体験がそのまま反映されています。
これからやりたいことは?「店内に授乳室をつくりたいんです」というほどの子ども好き。というか、親思い。仕込み中に外を歩く保育園の子どもたちがガラスに顔をくっつけて作業を興味深そうに見入っている姿をみているだけで「もう可愛くてたまりません(笑)」。独身生活から別れを告げるのも、そう遠くないかも知れません。どうか月に2日しか休まないワークスタイルに、家族から不満が出ませんように。
(取材・構成/池田厚司)