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夢を叶えるために、好きなことに没頭する人がいます。目標から逆算して、計画的に行動する人もいます。 人それぞれ違う、夢の引き寄せかた。海が好きで、レゲエが好きで、ジャマイカが好きで。そんな男が綴る夢へのストーリーは、決してフラットな道のりではありませんでした。
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◆レゲエが流れる本格スピーカー
関西屈指の歓楽街ともいうべき大阪市北区の北新地。数多くの飲食店が集まり、夜な夜なにぎわいをみせています。その一角、レゲエをコンセプトにしたお店がビルの3階に。店内には、ジャマイカの国旗やレゲエの神様と称されるボブ・マーリーの写真、そして南の海が映し出された大型モニターなど、コテコテではないさりげないパフォーマンスが、カリブ海や周辺の島々を連想させてくれます。
4月といえば、学生や社会人も歓迎会の季節。淀屋橋や肥後橋といった大阪のビジネス街からも便利な距離にあり、春はある意味稼ぎどころ。ジャマイカ料理って珍しいですよね。「この界隈で提供しているのは、おそらくうちだけかも知れません」。ジャマイカ料理といえば、やっぱりジャークチキン。香草で焼いた風味は、バーベキュー発祥の国・ジャマイカならでは。
店内に入ってきた時に気付かなかったのが、壁一面に圧倒感のあるジャマイカンスピーカーシステム。天井に近いスピーカーからは高音が、床に近いスピーカーからは重低音がアウトプット。ズシンズシンと体に伝わってくるわりには、音が大きすぎて会話の邪魔になることもありません。ここでは、レゲエ音楽自身が空間のパフォーマー。お店のキャッチフレーズに組み込まれているキーワードが、キラリと光ります。
◆人生初の「夢宣言」
1988年、ジャマイカが舞台になった映画「カクテル」が大ヒット。主演のトム・クルーズ全盛期で、ビーチ・ボーイズの「ココモ」も印象的でした。「カリブ海にあこがれ、バーにあこがれ、トム・クルーズにもあこがれました(笑)」。いつかレゲエバーのオーナーになる。これが10代後半、自身に誓った人生初の夢宣言でした。
大阪市内のレゲエのバーで働きながら将来の自分と重ねてみたり、本業のスキューバダイビングのインストラクターとしてカリブの海に思いを馳せてみたり。ところが和歌山の白浜でダイビングの実習中、アクシデントが起きました。受講生を救助したがためにケガをしてしまい、現役続行が難しくなってしまったのです。「残念ではありましたが、これを機に次の人生を模索することができたんです」。大好きだった海とも別れることになりましたが、バーのオーナーという夢は一層大きく膨らみました。
その後バーや割烹料理店などで修業に1年を費やし、ついに大阪ミナミに自分の店を出すことに。夢を自分のものにするために努力したこと。それは、「目の前にあるものに、一生懸命取り組んできたことです」。ずっと先まで見なくてもいい。もちろん焦らなくてもいい。毎日の地道な積み重ねはやがてゴールにつながる。20代のころから貫いてきたワークスタイルは、今も不変です。
◆度重なるアクシデントにも耐え
ダイビングやレゲエが好きな仲間が集まり、気がつけば8年が経っていました。珍しいジャマイカ料理も、少しずつ浸透し始めていました。そしてついに北新地へ移転。飲食店のオーナーなら誰もが店を出したいと思う歓楽街のメッカ。「やっぱり北新地というブランドは大きかったです。商圏も大きくスケールが違いました」。客席数も増え、実質的にはここからがスタートだと、モチベーションも上がりました。
ところが、思わぬところで大きなほころびが。以前いた会社が倒産したことで、当時社債を所有していたことから数百万円が一瞬にしてゼロに。「銀行に預けておくより社債にしておいたほうがいいという人からのアドバイスがあったからなんですが、まさかの展開でした。自分の油断でした」。悪いことは重なるもので、賠償問題も浮上し結局多額の借金を背負うことになりました。
華々しい北新地でのスタートに起きたアクシデント。「高いものに立てば飛び下りてみようかなとか、川を見たら橋から飛び込んでみようかなとか、生命保険はいくらかけていただろうとか、そんなことを考えることもありました(笑)」。
失意のどん底。でも、せっかく自分に引き寄せた夢を簡単に手放す気にはなりませんでした。そのためにケガもし、目標も掲げたのだから。経営は以前にも増して苦しくなりましたが、これを契機に再出発を誓ったのです。
◆長渕ファンのイベントで得たもの
数年前に念願のジャマイカへ。まずは食材のルート探しから。当時は食材を入れる手段は個人輸入に頼るしか方法がなく、そこから始まりました。首都のキングストンはもちろん、ジャマイカ屈指のリゾート地・オチョリオスや、白砂の海岸が美しいネグリルのセブンマイルビーチなども訪ね、本場の料理を食べ歩き。もちろんローカルな店にも立ち寄りました。「やっぱり本場は美味しい?ん~、それは入った店によります(笑)」。
何より印象的だったのは、国民が明るいということ。「タクシーのドライバーもポストマンも、みんな笑顔なんです。生活は苦しいはずなのに、何でも笑いで吹き飛ばしてしまうパワーを感じました」。これまで色々なアクシデントに見舞われた半生。海の青さとともに、現地の人たちの笑顔にも救われたことでしょう。ジャマイカの滞在で心身癒され帰国した時は、「日本人ってなぜこんなに難しい顔をしている人が多いんだろうと思ったくらいです(笑)」。
気がつけば43歳。これからどんなお店に?「20代にはレゲエを純粋に楽しめる場として、30~40代にはもう一度レゲエを楽しめる、懐古的な場になればいいなと思っています。レゲエの未来は明るいと信じています」。
実はレゲエだけでなく長渕剛の熱狂的なファン。ダメージ続きで目標を見失いかけた時、いつも長渕ソングに救われました。以前、長渕剛のカラオケをどれだけ絶やすことなく歌えるかという参加型イベントを店でやったら、「代わる代わるマイクを持って、48時間みんなで歌い切りました(笑)」。取材の日も、はたちそこそこの青年2人が「長渕さんが好きでこの店にきました!」と、興奮気味にカラオケで歌う姿がありました。
世代を超えてひとつになる。そしてともに生きる。店を一番の活力にしているのは、オーナー自身かも知れません。
(取材・構成/池田厚司)