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「北新地の灯を消すわけにはいかない。 だからここまで頑張ってこられた。」

2020.10.292020.10.29
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★株式会社音羽 すし処おとわ北新地本通店店長・森下敏宏さん(47歳)

すし、割烹、出前センターなど、京阪神に26店舗を展開する株式会社音羽。2020年9月に創業50周年を迎えましたが、新型コロナウイルスの影響により記念すべき年は試練の年に。関西屈指の歓楽街・北新地でも、夜の社交場としての空気は一転。灯が消えてしまった北新地に、果たして客は戻ってくるのか。先の見えない不安と戦いながら、そこにはすし職人であり店長でもある森下敏宏さんの意地がありました。

 

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 遠くなったカウンターとの距離

 

日の暮れかかった北新地本通。午後6時のオープンに備えて、厨房では森下さんが4人のスタッフを従えて仕込みの真っ最中。仕上げは玄関に掛けられるシックなのれん。すし処おとわの一日が始まろうとしています。

しかしそこにあるのは、すし専門店らしからぬ見慣れない光景でした。すべてのスタッフがマスクを着用し、威勢のいい声はありません。カウンター2席分ごとに木製パーテーションで仕切られ、カウンターと厨房との間には全面ビニールシートが立ちはだかり、人と人との接触を完全に遮断しています。感染拡大防止対策とはいえ、不夜城・北新地の有名店がまさかこんなかたちで翻弄されるとは、誰もが思ってもみませんでした。

無粋なビニールシートの向こうで、ネタケースに手をやりながら神妙な面持ちの森下さん。「この仕事をしてきて20年以上になりますけど、こんなことは初めてでした。ふだん来られているお客様が元気でいらっしゃるのかどうか、まずはそれが一番の気がかりでした」。ステイホーム期間が長引き、数カ月間で生活様式も大きく変化。「飲食業も北新地も、どうなってしまうんだろうと毎日不安でした」。

いち早く対応した時短営業への取り組みや、40日間もの完全休業。自宅でおうち時間をすごしながらも、気になるのは店のことばかり。店長という立場でもあり、「1週間に2回は店に出てきましたが、冷蔵庫のものをただ捨てるだけの虚しい出勤でしかありませんでした」。このまま北新地の夜は戻ってこないのではないか。本当にコロナは収束するのか。森下さんには人も車もいない本通は、先のない暗闇にしか見えませんでした。

 

 ◆短気がゆえに切らさなかった集中力

 

兵庫県伊丹市出身の47歳。高校卒業後、20歳の時に大阪府内のすし店に就職。社会人であることはもちろん、すし職人としてのスタートでもありました。当時は今よりも上下関係が厳しかった時代。個性の強い職人は、どこにもいました。今なら、きっとパワハラだのモラハラだのと非難されてもおかしくない時代でした。

それでも、愛媛や奈良、和歌山などの個人店やホテルなどで緊張感を切らすことなく10年以上修業を積み、35歳で音羽グループに入社。傘下の店舗でさらに経験を積んだあと、5年目で店長に昇格。現在の職場で7年目を迎えます。「どちらかというと遅咲きの部類ですよね(笑)」。割烹着を脱ぎながらリラックスして調理帽をとると、とたんに人懐こい笑顔で会話もポンポン飛び出します。短く刈られた頭髪も影響しているのでしょうか、若々しく見えてとても47歳とは思えない明るいキャラが印象的です。

苦労したとか、しんどいと思ったことは?「ありませんね。とにかく仕事が楽しかったですから」。失敗した経験とかは?「ん~、思い当たりませんね(笑)」。上司がきついと思ったことは?「ないですね、それも(笑)」。どんな性格かを聞いてみると、短気ですのひと言。でも一方では、やさしくて面倒みがいいという周囲の評価も。多くの職場を渡り歩いてきた森下さん。きっと仕事以外のことに目を奪われることのない集中力で、すし職人のプライドを守ってきた結果なのでしょう。

 

 ◆お客さんの喜ぶ顔が見たいから

 

そもそも、なぜすし職人を目指したのでしょう。「高校卒業後、ちょっとブラブラしていた時期がありまして。二十歳になったころ、父の知り合いに説教されたんです。二十歳にもなって何してるんや。そんなことじゃあかんやろ!と」。説教された場所が、こぢんまりした日本料理店。あろうことか、そこで見たものに心を奪われてしまったのです。「これや!と思いました(笑)。まるで芸術品のように盛り付けされた料理を見て、自分の居場所を見つけた気がしたんです。子どものころからモノを創ることが好きだったので、迷いはなかったです」。

説教よりはるかに効果があった、まさかの即決。短気が生んだ意志の強さ。もしあの時、目の前にあったものが日本料理でなければ、まったく別の人生を歩んでいたかも知れません。

店長に昇格し、ふと気がつけば40代。いつの間にか周りは年下ばかり。今まで感じなかった重責。経営面や人材育成面など、「やることが多すぎて、現場の仕事に集中できた前(社員)のほうが楽しかったです(笑)」。ソロバン勘定より、ネタに包丁を入れてすしを握りお客さんと会話を楽しんいるほうが性に合っているのでしょう。今はそれすらままなりませんが、「お客さんの喜ぶ笑顔を見たいんです。そのためには自分たちが仕事を楽しまないと」。

北新地では、誰もがサービス業のプロ。誰もがこだわりのある職人ばかり。周囲の空気に刺激され、お客さんからの支えがあったからこそ、頑張ってこられたに違いありません。「カウンターの前のビニールシートも、あくまでお客様の健康第一を考えてのこと。野暮に見えるかも知れませんが大事なことですから。今が辛抱です」。

 

 ◆当たり前のことに感謝する

 

コロナ真っ只中のころに比べて、お客さんは7割近く帰ってきました。「今は感謝しかありません。元に戻るのはまだまだ先だとは思いますが、やっとここまできたというのが実感です。今まで当たり前だったことが、当たり前ではなくなりました。コロナ禍によって、日常というものがどれほど大切か改めて知りました」と、北新地の総意を語ってくれました。

残念ながら、創業50周年という音羽グループ全体の節目にもかかわらず、記念行事的なことはほとんどできずじまいでした。「でも、そんな節目に自分がいられるだけでもうれしいんです。この会社で本当によかった」とどこまでも前向きな森下さん、在職12年という安定感がそれを物語っています。

すし専門店だけで200軒を超える北新地。そんな激戦区でありながら、何と8店舗が元音羽グループの社員が独立開業した店舗と聞いてびっくり。さらに驚いたのは、個人の独立に際して会社側が全面的に応援・協力しているという点でした。「将来どうするかはまだ決めていませんが、会社と個人が同じベクトルにあるというのは、やり甲斐があります」。とかく独立というと遺恨を残すケースも珍しくありませんが、「すし処 森下」の誕生は決して夢ではありません。もしかしたら、コロナが収束する日こそ森下さんの新たな夢の始まりなのかも知れません。

「すしでも食べよか」。そんな人々を支えている、森下さんのワークスタイル。北新地にはやっぱりすしが似合います。少しずつではありますが、いつもの日常が戻りつつあります。

(取材・構成/池田厚司)

 

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