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2018年に創業45周年を迎える、お好み焼チェーン店の千房。創業以来、「お客様のご満足・従業員の幸福・会社の発展」を、経営方針の三本柱に掲げてきました。4年前に専務取締役に就任した中井貫二さんは、実力至上主義を生き抜いてきた元証券マン。これまで、創業者の伝統を継承しつつ新しい試みにも取り組んできました。すべての原点は人間力にあり。関西経済界ではカリスマ的存在の中井政嗣代表取締役の後継者として、さらなる手腕に期待が高まっています。
◆誰のおかげでメシが食えているのか
「親父(現社長)は子どものころから、めっちゃ怖かったです(笑)。物心ついたころから敬語でしたし、しつけも厳しかったです」。特に、出勤前の現社長の靴を磨かされたことが、強く印象に残っています。靴を磨くという作業は、今のうちに自分をしっかり磨いておけ、という教えだったのかも知れません。
入社式や慰安旅行などの会社の公式行事にも同伴させられることが多かったそうです。「逆に、社員の人たちを家に連れてきてご飯を食べさせたり泊まらせたりすることもしょっちゅうでした」。社員は家族同然というポリシーは、創業当時からあったのでしょう。
大学生のころ、こんなことがありました。近況を聞かれて、「大学なんて遊んでいればいいところ、と言ったんです。すると大激怒されまして。お前が大学に行けているのは、うちの社員が汗水流して働いてくれているおかげやないか!と」。以来、自身の生活態度は一変。その後、自らを一番厳しい環境に置くべく証券会社を目指したのでした。
あれから20数年。三男がゆえに「自分には関係ないと思っていた」後継者問題は、長男の急逝という不幸も重なって事態は一変。4年前に証券会社を退職し、家族を東京に残したまま単身赴任での“帰阪”となったのです。「大人になった今でもめっちゃ怖いですよ(笑)。頑固というか意志が強いというか、自信と信念の固まりのような人です。お好み焼を焼かせたらワシが一番うまい、と今でも本気で言う人ですから(笑)」。
◆社員をひとつに束ねるために
専務取締役に就任した際、現社長との約束事があったそうです。その1。証券会社にいた過去を持ち出すな。その2。今日入ったアルバイトに至るまで全従業員が自分のために働いてくれていると思え。「それ以外は何をしても構わない、自由にしろと言われました」。これまで現社長に仕えてきた古株社員がいます。これからの時代を担う若手社員もいます。30代後半の若さでありながら、社員をひとつに束ねていかなければなりませんでした。
早速改革に取り組んだのは、社内の風通しをよくすることでした。「人事の評価基準がざっくりしすぎていたり、上にモノを言えない体質が残っていたり。これは変えていかないとダメだと思いました」。人事評価のあり方を根本的に見直しました。評価する権限を店長に与えつつ、個々の評価は給与や賞与に細かく反映させ、社員のモチベーションも上がりました。
一方、やり甲斐のある職場で従業員を幸福に導き、それを顧客満足につなげていくという、これまでの経営理念は不変でなければなりませんでした。「創業者の思いというものは、何としてでも伝統として残すべきだと思いましたから」。
変えなければならないことと、変えてはならないこと。一見、相反するテーマではありますが、両者の絶妙なバランスが結果的に高い顧客満足度と売り上げ向上に結びつき、新体制によるナカイズムは加速度を増して浸透していったのです。
◆篤志面接委員のメンバーとして
元受刑者を従業員として受け入れる。約10年前、現社長が先頭に立って取り組んだ人事施策は、あまりにもセンセーショナルでした。「実は(現社長には)昔からそういうところがありました。過去に前科のある人を手厚く迎え、家族のように接していたのを幾度となくみてきました」。2013年に千房が発起人となり発足された「日本財団 職親プロジェクト」(再犯防止を目的とした就労支援制度)も、元はといえば現社長のそうした熱い思いが実を結んだ成果にほかなりません。
現在、法務省から委嘱を受けた篤志面接委員の若きメンバーのひとりでもあります。「刑務所に出向いて、受刑者の声をじかに聞くことも珍しくありません。就職相談の延長で、採用試験を現場で行うケースもあります」。より一歩踏み込んだ更生のための奉仕活動は、業界でも珍しいケース。これまで培ってきた社会性の高い理念は、塀の外と中で徐々に実を結びつつあります。
揺るがぬ過去不問の精神。みつめるのは未来のみ。時代は変わっても、創業者の意思は確実にブラッシュアップされています。
◆靴が磨かれていた意味
この数年間でフィリピンやベトナム、タイなどに出店。ロシアやブラジルなどへの出店計画もあり、以前と違って海外進出にも意欲的です。「海外では和文化が注目されています。安定した利益を上げていくには、国内だけでは難しいですから」。
また、商品の健康面を配慮した取り組みも始まっています。すでに2016年から全店で国産の小麦粉に切り換えたほか、グルテンフリーに対応すべく業者が開発したライスジュレと米粉をブレンドして、いち早く独自のメニューを生み出すことに成功するなど、業界の一歩先をゆく先進的な対策を講じてきました。
子どものころ「インパクトはあるけど、観ていて恥ずかしかった(笑)」というあのおなじみのCMを地でいくかのように、すべてが未来に向かって力強く驀進中。戦艦TECOは決してコテコテの大阪ではなく、粉もんビジネスを象徴したまさに千房のあるべき姿そのものなのかも知れません。
Facebookを拝見してみると、2017年4月現在で4,000枚近くの名刺があったとか。専務就任以来、1カ月平均100人以上もの人と名刺交換した計算になります。しかも驚いたことに365日休んだことがありません。「現社長もですよ(笑)」。
2018年12月。創業45周年を機に、いよいよ世代交代。「先日実家に戻って出かけようとしたら、靴がピカピカに磨かれていたんです。聞いてみると、現社長自らが。ふと子どものころを思い出し、背筋が伸びました」。ついに信頼のタスキが後継者に託された、記念すべき瞬間でもありました。
(取材・構成 池田厚司)